嵐に鳴り止まないスタンディングオベーションを。
こんばんは、あんずです。
嵐の活動休止発表から3週間が経ちましたね。
何度もここで気持ちを書こうとしましたが、まとまらず…
ですがこのまとまらない気持ちを何かに残しておきたいと思い、書かせていただきます。
(この記事を読もうとしてくださっている嵐ファンの皆様へ
来てくださってありがとうございます。
私がそうであるように、一言では表せない気持ちを皆様がそれぞれお持ちだと思います。きっとどの感情にも間違いはありません。だから、誰にも惑わされることなく、今持っておられる気持ちを大切になさってください。
ここで書くのはあくまで私個人の気持ちですので、「こういう気持ちの人もいるんだなぁ」と軽い気持ちで読んでいただければと思います。
嵐と過ごせる残りの時間すべてが、幸せで満ちていますように。)
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(大前提として、嵐への愛が止まることはないのである。)
1月27日の夕方、何気なく開いたネットから、”嵐”という文字と嵐とはこの先も無関係だと思っていた”活動休止”という文字が飛び込んできた。
慌ててファンクラブ会員サイトでメンバーの言葉を読んだが、まったく内容は入ってこず、頭が真っ白になるとはこういうことか、と他人事のようにぼんやり考えながら涙を流している自分がいた。
同じ嵐ファンや私が嵐を好きだと知っている友人、そして家族など様々な人からの連絡が来たが(多分過去最大のメッセージ数だったと思う)、なんせ実感が湧いていないため返信する気にならず、何の味もしない晩御飯を食べていたら、テレビで会見の様子が流れ始めた。
その会見を見て、あぁこれは私がずっと見てきた嵐のことなんだとようやく気づいた。
それはきっと、会見での彼らがあまりにも”いつもの嵐”だったからだと思う。
5人でいることが好きで、大切で、すべてだと体全体で伝える嵐がそこにいた。
会見の嵐は、とてつもなく強かった。
嬉しいくらい、悲しいくらい、誇らしいくらい、憎いくらい、強かった。
自分の気持ちを綺麗な瞳で迷いなく伝えたリーダー、すべての思いを肯定して嵐に集結させた翔くん、素直な気持ちで前を向いている相葉くん、誰もその大きさを量ることができないほどの愛を隠さないニノ、気持ちに寄り添い未来を見つめた潤くん、全員に共通したのはただ嵐を守りたいことだった。
会見を見終わったあとの私は、驚くほど清々しい気持ちでいた。
それは、嵐が1年半もの時間をかけて話し合い、決めたことだと分かったからだ。
しかも、最初に事務所を通さず、約8ヶ月もの間メンバーだけで話し合っていたとは、道理で信頼と感謝と尊敬が止まらないのである。
そんなこんなで、嵐の決断をようやく理解することができた。
これからの2年近くが楽しみにさえなった。
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これが当日の気持ちです。「なんだ、円満で前向きな休止じゃない」と比較的ポジティブに捉えることができていました。(全然眠れなかったけど…)
しかし、人間の気持ちってのは弱いもので。
翌日から、色んな感情が止まらない止まらない。
なんだ、この寂しさは!なんだ、この嬉しさは!なんだ、この苦しさは!なんだ、この愛しさは!なんだ、この喪失感は!なんだ、この安心感は!
無限に溢れてくる感情。まるで、どんどん自分が量産されていくような。
時間が経てば経つほど、周りが落ち着いていくのを見れば見るほど、取り残されたような気がして。今までの彼らの20年間は夢だったのではないか、むしろそうであれば簡単に醒めれるのに、とさえ思いました。
しかし、20年という年月は、確かにそこにあって。それを無かったことにしないために、永遠に輝かせるために、彼らは時間をかけて嵐を優しくそっと宝箱にしまうのだろう、と感じました。
ある時は。
リーダーが大切なものを手放す決意をしてまで望んだ、「普通の生活」を恨んでしまうこともありました。でもそれは決してリーダーへの恨みではなく。
「普通の生活」に対して、お前は一体何を与えれるのか、そんなに良いものを持っているのか、と。
……あぁ、リーダーはそれを見つけるために「普通の生活」を選んだのか。
ならば。「普通」を知ったリーダーが感じるのは、絶望ではなく希望であってほしい。悲しみではなく歓びであってほしい。
そして、いつの日か、”この世界”がリーダーの目に輝いて映れば。
ある時は。
嵐があくまで”一旦活動休止”という形にした理由を見失って、途方もない寂しさと恐怖を抱くこともありました。
もしかしたら、”解散”という言葉を避けて別れを告げようとしてくれた最後の優しさなのではないか、もう彼らを見ることはできないのかもしれない、と。(そんなことないってあれだけ分かりやすく伝えてくれたのにね!安定の情緒不安定で、嫌になっちゃうよ!)
しかし、5人の言葉を丁寧になぞっていけば、嵐をここで終わらせたいと思っている人なんて一人もいないことが痛いほど伝わってきて。彼らは本気で、いつまでも嵐でいようとしているぞ、とゾクゾクしました。
自分の想いに正直でいることを諦めなかったリーダー、仲間の想いを尊重することを諦めなかった4人、5人でいることを諦めなかった嵐。
…なんだ、素敵じゃないか。怖いものなんて、ない。
ある時は。
5人が、嵐でいる今を心から楽しんでいる姿に、無限の愛しさが湧いてきて。
同時に、個になる2年後を想像して苦しくなってしまって。
嵐がいない世界に気付かないでいるために、2021年からはテレビなどのメディアと距離を置こうと勝手に決意してみたり。でも結局、彼らがポロッとこぼす嵐の欠片を集めては、懐かしく愛しく切なく暖かく感じ、待ち続けるんだろうな、と。
だから、見続けちゃうよ!(なんて浅い決意だったんだ)
ある時は。
5人がファンを一人として置いていかないようにしてくれていることに、感謝と信頼が止まらなくて。
「この4人に出会えたことに本当に感謝している」「5人がそれぞれに嵐を好き」「5人で再開した時」「嵐じゃないと叶えられない夢」「5人で活動できるのはものすごい幸せで喜びのこと」
すべて挙げていたら平成が終わってしまうほど、ファンが安心できるような言葉を心からくれるので、これはもうついていくしかない、いや、同じ夢を見させてもらうしかない、と強く感じました。
数え切れないほどの「ある時は。」を越え、
…え!嵐ファンって、幸せじゃない!これは、応援するしかないじゃない!←今ここ。きっとこれからずっとここ。
まだこの決断を正しいと言えるほど気持ちが安定したわけではありませんが、信頼と実績の嵐なら絶対に「正解」にしてくれると信じています。
現に、間違った決断ではないと思えているので。
仲間を心から愛し、ファンに誠実に向き合い、たくさんの夢を与え、これからも5人で歩もうとしてくれている嵐と、
同じ時代に生き、出会い、応援できていること。
幸せと希望を与えてもらっていること。
そのすべてに感謝し、
嵐が嵐でなくなるそのときまで。
嵐に鳴り止まないスタンディングオベーションを。
(ここまで読んでくださった嵐ファンの皆様へ
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
私は、今回のことに限らず、誰の気持ちも傷つけたくないと思っております。
きっと、誰かのせいにして気持ちのはけ口を作ることは簡単で。だから、一部の人たちは自分の好きな人を守るために、必死に周りを下げるのだと思います。その気持ちもわからないでもない。
でも、お互いを認めて優しさだけで守れる人たちを好きになったから、そうできる強さを持った人たちを見つけてしまったから、誰かのせいにしたり傷つけたりしたいとは思いません。
だからこそ、そういった人たちの言葉は気にせず、「私は今、嵐が好きだ〜!」という気持ちのまま、お互い嵐を応援し続けましょうね!
もし、モヤモヤが止まらなくて、何も知らない周りの言葉に流されそうだと感じておられるのなら、ぜひ私にその思いを吐き出してください。私で良ければ、朝まで付き合います。←笑
皆様に出会えたことに感謝して。)
でも、やっぱり寂しいね!